1. 代表紹介

代表紹介

お客様の思い出不動産を、誰かの幸せな営みの場に

西村匡史(にしむら ただふみ)

皆様、こんにちは。

株式会社ベイサイドリアルターの代表取締役の西村と申します。

弊社のHPをご覧頂き誠にありがとうございます。


お陰様で2011年に創業し、不動産という商いを続けさせていただいております。

ここまで続けられているのは、お客様やお取引様、周囲の皆様にわが社をご愛顧の結果だと思います。

ただただ、感謝しかありません。


さてさて私は不動産屋の息子として生まれましたが、そもそも不動産屋=不動産業界が嫌いでした。

理由は「口先だけで、不透明かつ胡散臭い」業界人を子供の頃から関わり見てきたからです。

※今は天職だと思っておりますが(笑)


創業以来様々な経験をした現在、私が考えているのは、不動産物件には、人の人生があるということです。

その人生が営まれた場である不動産を、誰かの幸せな営みの場へとつなぐことが、私の不動産業者としての使命ではないか。


そのように考え日々精進しております。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

経営理念
私達はお客様の商売繁盛を支える不動産会社です
  1. 私達はお客様の事業の繁栄に最適な不動産物件をご提供し続けます。
  2. 私達は不動産業務を通じ、地域にそして日本中に楽しいコミュニティーを作り続けます。
  3. 私達はお客様の事業の繁栄を糧とし成長しすることで、自らの夢を実現する集団であり続けます。

創立当初に作ったこの経営理念を基にただただ、ここまで皆様と歩んで参りました。

しかし、まだまだ出来てないことが沢山あり、お叱りを受けることもあります。

その為には、更なる知識と経験を習得し、皆様に役立つ事しかないと考えております。


不動産を通じて、世の中を楽しく明るく照らし、暮らしやすく・商いしやすくする事をこれからも続けて参ります。


プロフィール

出身地奈良県大和郡山市(大阪市港区八幡屋生まれ)
出身校大和郡山市立郡山北小学校 大和郡山市立郡山中学校 奈良県立登美ヶ丘高校 関西学院大学法学部法律学科刑事政策学専攻(前野育三ゼミ)
誕生日1975年(昭和50年)3月20日(ロスジェネの逆襲世代)
血液型みなさまから愛されるO型
資格宅地建物取引士(奈良)第008452号
公認不動産コンサルティングマスター(2)第31809号
不動産エバリュエーション専門士
少額短期保険募集人
趣味クラヴマガ(イスラエルの護身術) 国内外旅行 イタリア車に乗ること  銭湯巡り
これは自慢だ元、スーパー店員と保険調査員(保険金詐欺を見抜く仕事)なので食材と人を見る目はありますw
休日の過ごし方クラヴマガの技の取得のレベルアップの為にジムで筋トレをし体を絞って、地元の銭湯に入ること。

自己紹介

かなり長い自己紹介をします。皆様に私の事を知って頂きたいのと、こんな経験した奴おるんや!と思って頂きたいので。お気軽にお読みください。

 

学生時代

私は奈良の片田舎の不動産屋の息子に生まれ、物心が付いた頃から父の不動産屋の店番やチラシ折り、チラシ配りをしていました。

 

当時の親父の不動産屋の友人のおっちゃん達は、やたらいかついサングラス掛けて、ベンツ乗ったり金色の時計や指輪をしていた様な…

見かけによらず優しいおっちゃんは多かったんですが…

 

それが嫌で、不動産屋になる事も経営者になる事も選ぶことは無く。

16歳で椎間板ヘルニアを発症し高校の体育はずっと見学。

大学受験も腰痛に悩まされ、受験勉強は寝たり起きたりしながら体制を変えて頑張りました。

 

合格した関西学院大学の2年間は大学の持つ三田のキャンプ場でアルバイトもせず、親のすねをかじりながらキャンプリーダー(キャンプ場のお兄さん)をやってました。

でも20歳の時に阪神大震災を経験しあの惨状を目の当たりにし、当時の友人や先生が亡くなった事で、目が覚めました。

 

この時に親父から「せめて宅建ぐらい取れ」と言われ学生時代に取得、以後の2年間は学校に夏休みに黒板を取り付けたり、某住宅メーカーの外装大工やレンタカー会社の回送のアルバイト等々と学業を両立していました。

 

ゼミでは刑法の刑事政策学を学び、将来は警察官になって、悪人をバンバン逮捕したいなと思っていましたが、

19歳で手術する事になり、夢を諦めました。

 

社会人になって(西友の食料品売り場担当)

就職はバブル崩壊後の就職氷河期を経験したロスジェネ世代なので、なんとか受かった大手スーパー西友に就職しました。

もう無くなりましたが配属は東大阪の八戸ノ里の食品売り場。

豆腐や揚げ、うどんそば、漬物やチルド食品担当から、最終的には菓子飲料担当でした。

夏場に冷奴切らして怒られたり…

ロット間違えて半年掛けて同じスナック菓子を売る羽目になったり…

でも、商売で大切な「見切り」のタイミングを学ばせて貰ったことが今も生きています。

しかしながら、西友を含めた西部セゾングループが、当時流行った住専問題で破綻し、給料は下がるし親父みたいな世代の人がリストラで部下になるし。

結局夢が無くなり、アメリカのウォルマートに買収される前に退職しました。

 

転職1回目(積水ハウスの営業マン)

そしてやはり夢を諦めきれず、トイザらスでフリーターをしながら、公務員の予備校に通い再び警察官を目指すものの、病歴・体力試験ではねられ、

結局、積水ハウス株式会社に中途採用で入社、シャーウッドとシャーメゾンの営業で希望して親元を離れ東京に赴任しました。

会社初の公式中途採用という事で、毎日飛び込み訪問と下請けさんから紹介を貰うための、ドサ周り営業。

展示場に配属されたけど、営業はほぼ皆無でした。

お前は中途採用だから飛び込み営業出来んだろうと・・・

いえ、ただのスーパーの兄ちゃんです。とも言えず・・・

 

地縁血縁が無い場所での営業はホンマに苦労し売れない営業マンの烙印を貼られ、毎日怒られていた様な(笑)

徐々に中途採用の後輩も入って仲間も増えましたが、シビアな営業ノルマに耐え切れず結構な数で辞めて行きました。

 

僕も音を上げかけましたが、このまま辞めるん悔しいと思い、続けました。

この時の経験が今の僕の営業としての神髄でしょうか、最終的にはご紹介でお住まいを建てて頂くまでになり、苦労が実った瞬間でした。

が、数年後椎間板ヘルニアが再発し営業所で倒れ救急者で運ばれ緊急入院し、結果2度目の手術をする事になり、それが元で退職しました。

 

いざベンチャーのテナント専門不動産会社へ

積水ハウス退職後は地元の奈良で椎間板ヘルニアの二度目の手術入院をすることになりました。

術後に病院のベッドで転職雑誌で目に留まった大阪江坂坂と東京恵比寿を拠点とするテナント仲介がメインのベンチャー企業の面接に応募し、

結局、6年半お世話になりました。

こちらでは、大手中小の飲食・物販・サービス業のテナント様をお仕事をさせて頂き、20代でかなり良い給料を頂いていました。

 

この時に今の仕事の基礎を学び、

 

お客様と共にお店を探す「この仕事は天職やな」と感じました。

 

しかし、またまた大波乱。

当時の社長が飲食業に手を出し、芸能人のお店のフランチャイズに加盟。自社ブランドも含め成功したので多店舗展開。

が、儲かったのも束の間でリーマンショックがやってきて、テナント仲介部門も飲食部門も債務超過で消し飛びました。

大阪・東京に10名ほどいた社員も、固定給が払えなくなり一人二人と辞めていき、

社長は心を病んで会社に来なくなり、取締役二人と僕だけになりました。

もちろん僕も転職を考えていましたが、宅建士の有資格者が僕だけになりました。

しかし僕がいなくなると宅建業法上でアウト、残務処理が出来なくなるので、フルコミで働くことになりました。

 

この経験も良かったなあ。

独立したらみんな最初はフルコミなので怖いはずですが、怖くなくなったので(笑)

結局宅建を持っているのが僕だけになりましたが、フル込みで廃業届を出すまで残務処理のお手伝いをしました。

しかし、その仕事だけでは飯は食えず、転職も考えて大手損保会社から委託を受けて「保険金詐欺事案」を調査する保険調査員の職に就くことになりました。

この保険調査員の仕事は結構楽しくて、嘘をつく悪人に罠を仕掛けて、嘘の言質を取って現場を調査し聞き込みをして、最後は詐欺を諦めさせるか、 

詐欺で警察に逮捕して貰うという仕事をしていました。

かなりの数の「悪人や小悪人」を相手に仕事をしたなあと、と思います。(下に続く)

そして家業の破綻

しかし、ここでまた大波乱。家業の不動産屋のを経営していた親父がアルツハイマー型認知症の中期であった上に、家族には無借金と言っていましたが嘘で数千万円の借金が発覚、しかも同時期に親父の取引先から訴えられるという・・・

 

結局、前の会社の残務処理をしながら、フルコミで保険調査員をやりながら、食いつなぎ、
親父の会社の債務整理と裁判を受けながら銀行と折衝しながら・・・
親父の介護を家族とする!みたいな。

もう笑うしかなくて、でもなんとか全て丸く収めました。

 

暗黒の30台でしたね。出口の見えないトンネル。

 

でもね、止まない雨は無い!


フルコミ保険調査員時代

保険調査員の仕事は実は警官を目指していた自分には楽しくて楽しくて、
嘘をつく悪人に罠を仕掛けて、嘘の言質を取って現場を調査し聞き込みをして、最後は詐欺を諦めさせるか、

詐欺で警察に逮捕して貰うという仕事をしていました。

親父の会社が整理出来たら、社員になるつもりでした。

でも…来る日も来る日もマイナスオーラたっぷりの調査対象と会うのがしんどくなった

ことと、このままだと身近な人を疑う癖がつくこと、人に喜んで貰う仕事がしたいと思い、調査の仕事からは足を洗いました。

その後その調査会社も社内の内紛やら、資金ショートやらで経営破綻して業務縮小し組織崩壊したので、

実はタイミングは良かったのです。


気づけば不動産屋の社長に

不動産屋を始める切っ掛けは、江坂のベンチャー不動産屋時代に知り合った、今は京都錦市場近くで不動産屋の社長をされているKさんのお陰です。

「二兎を追う者は一兎をも得ずですよ、不動産屋に戻って来てください、一緒に仕事しましょう」

この言葉で、調査会社から受託していた仕事を終わらせ、新規を受けず業務委託契約も終了させました。

 

でも、固定収入が見込めない。

不動産屋始めるにはお金と事務所の場所が要る。

今のマンションの家賃どうしよう…

実家は社金返済で売却し無くなって借家暮らし、でもその借家の大家さんが、まさかの自己破産で競売にかけられ借家も退去、賃貸マンションに

慌てて越したから狭くて住めないし…

 

と思っていたら、疎遠だった叔母が独身で急逝し、祖母から受け継いで一人で切り盛りしていたパーマ屋の跡が空いたので、

ここで開業する事になりました。36歳で。

人生逆転するなら、サラリーマンではあかん。

もう、不動産屋やるしかないなと。

 

独立して丸9年目

ここまでお読みいただきありがとうございました。

長いでしょ(笑)

でも紆余曲折ありながらこの9月で丸独立9年、石の上にも三年×3ですわ。

本当に沢山のお客様と周りの方々に助けて頂きました。

独立して良かった事は、「人の気持ちがわかる男」になったこと。

愛の無いし仕事はしないし、どんな仕事をするのかも大事だけど、誰と仕事をするのか?を考える事が出来るので。

「本気のあなたを応援します」が行動指針です。

 

さて、この9年の間に「テナント専門・事業用専門不動産仲介」から、「不動産コンサルティング」へとシフトして参りました。

不動産をお持ちの方や、相続や贈与を受ける方、これから購入する方に「不動産コンサルティングマスター」として悩み事を解決したいな、

と思い、資格を取ってコンサルティング協会にも入会させて頂き、理事もさせて毎日勉強させてもろてます。

不動産屋が嫌いだった、私が異業種からまわり道を随分としましたが、この奥深い「不動産道」の表面しかなぞって無かったことに気が付いて
今は極めようと日々邁進しております。

それは全ては「お客様の為・世の中の為」。

不動産で日本を良くするのがモットーです!