ちょっとというか、だいぶと?昔の話です(笑)
1997年(平成9年)に2年前の阪神大震災後の、わちゃわちゃも少しづつ収束し、何とか大学卒業の目途も見えたので、
当時のKGの同級生達も卒業旅行に行っても良いかなあというムードがあって、ゼミの友人は友人たちもユーレイルパスを使って、ロシア経由でヨーロッパに、また出来たばかりの関空からハワイに行っていた。
LCCなんてない時代。スカイチケットもエクスペディアもHISは出たばかりだったかな?
バブル崩壊後やったけど、まだ親はお金持っていて、友達はご褒美で旅行代も出してもろてたりしてた。
みんな、あの頃心に傷を負っていたもんね。
僕も卒業旅行に海外へ行きたくて、その前の夏休みに小中学校に、古い木製の黒板を上げ下げレバー式の黒板と取り換えるという、レアな短期バイトを友達から紹介されて、30日休まず60キロの黒板を担いで4階までの教室まで何往復も上げて、墨で採寸して、アンカーボルト打って、HILTI(ヒルティ)で固定するというガテン系の仕事を近畿一円でやっていた。
日当一万円やったから30万円最終日に初めて30万円という大金を封筒にて手渡ししてもらったのが忘れられない。
椎間板ヘルニアの手術から3年、今思うと良くあんな重い黒板を一人で担いでたなと思います。
結局5年後にまた手術するんやけども・・・・(笑)
そのお金で卒業旅行にオーストラリアの、ゴールドコーストとメルボルンとシドニーへ、自分でルートを決めて宿と交通系の切符だけ、
近ツーで手配してもらって、関空からQantasで1週間掛けて行きました。
オーストラリアには中学生の頃から憧れがあって、政府観光局から資料を取り寄せて、「いつか行こう!」と決めていたので、
夢が叶った訳です。
当時は一人旅を予定していたのだけど、違う大学に通う高校の同級生が一緒に行きたいとうことで、
こいつとの珍道中がまた、大変やったw
それは置いておいて。
初の海外は本当に楽しかった。英会話学校にも通っていたので、旅行会話位は出来るし、KGの英語の授業はネイティブの先生が
多かったから慣れ親しんでいたはずが、オージーイングリッシュはまた習っていたことより発音が違ってた。
Qantasはカンタス航空では無くて「クウォンタス」、cakeはケイクではなく「カイク」等々。
これがまた面白かったことと、オージーはどこでもおおらかで良い人が多かった。(一部当時はアジア人向けの差別は残ってたかな)
なので、いつになるのかはかわかりませんが、新婚旅行はオーストラリア再訪か、イタリアのアルファロメオの工場と博物館見学で、
迷っています。
イキった写真ですんません(笑)
旅は自分で大雑把に決めて行くから楽しくて、何があるか予想できないから面白い。

