皆様こんばんは。
今日は僕が誰と関わるかのお話。
まあ、誰が興味あるねんシリーズ。
昔、スーパー西友の食品売場で働いていた時に、
先輩から「ええ加減でええねんで、ええ加減」
と仕事中によく言われていました。
先輩は長崎出身ですが、立命卒の京都人のかしこ。
京都人の「ええ加減」は大阪人が普段から使う、
それ(あいつはええ加減や奴!) とはほぼ意味合いが全く違うw
先輩の真意は…
「お前自分を追い込むな、世の中完璧なんかないから、出来てへん自分を責めるな、良い加減で気張って長ーくやれよ」と言う事。
以後、20数年その言葉が心に残っていて、
自分にも仕事でもプライベートでも関わる相手に対しても、先輩の言う「ええ加減」がベースで接しています。
相手を決めつけない。
フラットに見て、相手がどう生きるのか何を選ぶのか、その選択肢は自由やなあと。
そらは過去に僕が相手に合わせる選択をする生き方がベースだったから、本音は苦しい思いを山ほどしてきたから。
でもそれは自分に自分が無かったし、相手に喜んで貰えればこっちに向いてもらえると思っていたから。
そしてそれは相手が調子に乗ってくるだけで、
沢山の心労を生み出しました。
自己満の結果ですね。
心が満たされないなんて、生きていたらと山ほどあるけれど、
だからといって自分を安売りしないぜ。
と決めたのは会社起こしてからです。
特に経営理念を自分で作ってからかな。
今思えば25-35までは、ただの放蕩息子でしたので、心を無くして遊びまくって、しかも自分を安売りしまくってましたね(笑)
さて、
先の「ええ加減」に話しを戻しますが、
クルマのブレーキで言うと「遊び」が無いとマジ危ない。
昔のクルマに多かったのですが、咄嗟にブレーキ踏んで、ブレーキペダルの動きに遊び(余裕)が無くて、結果的にブレーキが効きすぎて、事故る。
それはええ加減では無いのです。
そしてそこは人間関係と同じ。
相手が多少ええ加減でも良いのです。
それが人間やから。
完璧な人はいないし、そもそも自分も完璧ちゃうから(笑)
それに気づいてから、
自分はこうあるべき。
周りから見たらこう思われる人であるべき。
こう思う理想の自分であるべき。
などの思いは捨てました。
それが人に迷惑を掛けなければ良いし、
それが自分の心に嘘を付かなければ、なおよし。
自身の生き方を、八方美人でどう見られるのかをではなく、
自分の人生の主人公として、自分がこの先どう生きるのか?が腑に落ちているならば。
僕が仕事上で絶対決めている事は、プライベートでもビジネスでも、金銭と約束と男女関係をいい加減にする人とは仕事をしません。
その辺を、まあええか?
と自分に甘くする人は仕事にも絶対それが出てくる。
ええ加減に,でも自分に嘘を付かず、どんな仕事するのかも大事だけれど、誰と仕事するかを考える。
これが、僕の信条です。
自分を大切にできない人は、人を大切にできへんねん。
今日も長々とお読み頂きありがとうございました。